MAGAZINE #22019.10.01
熱海の奥深さを覗き見る
Deep Inside of ATAMI
熱海というとどのようなイメージを持たれるでしょうか。温泉、花火、花街、海産物……。一般的なイメージと同様に、この街は文豪たちに愛され、数多くの名作が誕生した街でもありました。
川端康成、谷崎潤一郎、志賀直哉、太宰治、尾崎紅葉など枚挙にいとまがないほど。
その聖地の一つとして、ぜひ訪れたいのが市の中心部にある名邸 起雲閣(きうんかく)です。
大正時代に名家の別荘として建てられたのち、旅館となり前述の文豪たちに愛される宿となりました。伝統的な日本の建築様式を持つ本館に加え、洋式のディテールを取り入れた別館と、建築を見るだけでも十分に楽しめます。今は熱海市により管理され一般公開されている名建築ですが、旅館当時は谷崎潤一郎や志賀直哉、山本有三らが集まり、文学論を闘わせていたことでしょう。
このような文豪たちの足跡を見るだけでなく、この起雲閣はまさに大正ロマンといっても良い和建築と洋建築の融合が図られている点も訪れる人々を魅了する要素と言われます。和と洋の融合。その意味では、私たちHIRAMATSU ATAMIにも相通ずるものがあるような気がします。
特に谷崎は昭和17年から20年まで熱海に居を構え、その自宅で「細雪」を執筆しました。その後、一旦京都へ移住しましたがすぐに熱海に戻り、何度も転居するなどよほどこの地を気に入っていたようです。
温暖な気候というだけでなく、直近に迫る海、背後に広がる山々。起伏に富んだ地形とこの地に潜む歴史の重み。熱海が持つこれらの要素に加え、街を散策すると伝わってくる温泉地であり保養地でありながら、熱海という独特の文化がにじみ出ていることも作家たちを惹きつけてやまない要素だったのではと感じられます。
このように多くの文豪たちが愛した熱海には随所に明治、大正、昭和の面影が今なお色濃く残っています。尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の貫一お宮の別れのシーンで有名な海岸、文豪が足繁く通ったカフェやレストランなどを探してみてはいかがでしょうか。
東京の奥座敷としての熱海
熱海の温泉の質の高さは古くから知られ、江戸時代には天領となっており、明治時代も重用され、以後大正天皇のための熱海御用邸も造営されていたほどでした。
その後も温泉街の発展とともに、避暑地としても前述の文豪たちだけでなく、芸能人などから愛され、保養地としても日本有数の地名度を誇る地となっていました。その後いくつかの時代の曲折を経て、熱海というと昭和なイメージが強くなったようにも思いますが、大きな変化が交通網です。それまで、東海道線でのアクセスが中心だった熱海ですが、新幹線の開通は、熱海の意味を大きく変えたと言われます。東京・品川から40分弱。名古屋からも2時間弱。
ひらまつがここ熱海に和と洋の融合をはかった“ヨーロッパの旅館”をイメージしたホテルを誕生させたのも、日常のすぐ側にある非日常という思いからでした。ふと思い立った時に、訪れることができる極上の非日常。
避暑地であり、豊かな湯量の温泉とともに眼前に広がる相模湾、三浦半島などの眼福を持つ景勝地でもある高台に位置する、HIRAMATSU ATAMI。
相模湾の豊富な食材、伊豆から届く山の幸。その両方のマリアージュ。シェフのクリエイティビティが光るお料理を堪能していただき、さらに、この歴史ある街並みを散策して見ると時代の移り変わりをそこかしこに見つけることができます。
熱海の魅力は訪れるほどに深くなる。文豪たちが愛した地に潜む、魔力のようなものをきっと感じていただけると思います。